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永井均 〈子ども〉のための哲学 読書日記
なんでこのブログにこんな記事があるんでしょうね。
でも書きたくなったからちかたない。
当該の本を読んでない人には意味不明かもです。
最初に言いますが書いてる時点では76ページまでしか読んでないし
本で扱われてる問いについての答えも出てきてないです。
じゃあなんで感想なんか書くのって話ですが
途中まで読んで率直に感じたことを書き留めておこうと思ったからです。
後で大恥かく覚悟は出来ている。
で、たぶんこれ「問い」の答え自体はどうでもいいんだと思います。
もちろん永井さんの答えに興味はあるんで全部読みますけど
それは永井さんの答えであって俺の答えではないし
そもそも永井さんの問題は俺の問題ではないですから。
ちょっと考えてみたことはあるけど、突き詰める気はないです。
で、永井さんの言う哲学ですけど、たぶん俺がこのブログでやってることが
俺にとっての哲学の出発点になってる気がしますね。
あくまで出発点ですが。
なぜ俺はL4Uが好きなのかという記事が一番わかりやすいかな。
要するに「疑問を感じたら納得いくまで思考を止めない」
これが永井さんの言う哲学なんだと受け取りました。
俺が素直に感じた疑問でさえあればご立派である必要なんてないはずです。
L4Uに関することだっていいんです。
上述した記事で「戦略性」「閃き」「奇跡」「アイドルと楽曲」という答えを出して
終わりましたがたとえば「なぜ戦略性があると楽しいの?」
「なぜ閃くと気持ちいいの?」「なぜ奇跡だと思うと感動するの?」
「なぜアイドルたちが好きなの? なぜアイマス曲が好きなの?」
ということを、自分が納得いくまで追求し続けるのが、永井さんの言う哲学。
そこで例えば閃きについて脳科学者さんに脳内物質がかけめぐってうんぬん
みたいな説明を聞かされて納得できればおしまい。
できなければさらに考えろってことかなと。
とことん突き詰めればこのブログが「アイマスを哲学する」みたいなノリになる?
もちろん一般的な意味での哲学じゃないですけどね。
俺は〈子ども〉にはなれないかも知れません。
とことんまで突き詰めたいほどの疑問を感じたことがあるか疑問ですから。
何もかも忘れちゃった「くだらない奴」なのかも。
疑問を抱き、その疑問について突き詰めることは
やってる本人にとっては当然なんでしょうけど
疑問を持たない、あるいは持っても適当なところで納得することに
慣れ切っちゃったような奴がいきなり徹底して思考するなんて無理です。
そして永井さん自身、そんなこと無理強いするつもりではないんでしょうし。
まあ、俺は俺のやりたいようにやるだけですね。
疑問を感じたからって必ず突き詰めようとは思いません。
でも、突き詰めたくなったときに「突き詰めちゃいけないんだ」
「突き詰めてもムダなんだ」と思わないようにしようとは思いました。
そう思えただけでも十分なんじゃないかと思ったし
永井さんがこの本で一番伝えたかったことはこれじゃないかと
全部読みもせず思ったりしました。あとは突き詰め方のサンプルってトコ?
そのサンプルを出すことも重要なんだと思いますけどね。
歩き方……だとちょっと違うかな。車の運転の仕方を教えてるようなもの。
車を運転したい(突き詰めたい)んだけど運転の仕方(考え方)が
わからない人に例を示す。そんな感じ?
もちろん全部読みますし読了したら違う印象を持つかも知れませんが
俺が76ページまでを全部誤読してない限りそんなにズレてないだろうと
勝手に思ってます。
2010/09/26 (Sun.) Trackback() Comment(0) その他
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